日越関係

ベトナムはフランス統治時代まで、日本と同じ漢字文化圏に属していました。漢字は公式文字として普通に使われていました。その時、国名を「越南」、首都ハノイを「河内」と表記しました。

そのため、日本とベトナムの関係は「日越関係」と言うのです。

奈良時代に初めての日本人が当時中国領であった越南に訪問した出来事から交流があると言われています。今回は「日越の関係」というテーマとして、ベトナムと日本の関係は歴史の流れに沿ってどのように成長したのかを紹介したいと思います。

10世紀前の日越関係

ベトナムと日本の関係は奈良時代に遡ります。

遣唐使船の漂流により、阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)という日本人が初めて中国領であった越南に訪問しました。そして、当時、ベトナムと日本の間には、習慣や信仰において共通点が数多くありました。両国では、儒教とともに仏教の布教が早く行われていました。 752年に、東大寺開眼供議会にベトナム仏哲が招かれ来日したことが記録されています。

②16世紀から17世紀にかけての日越関係

16世紀になると、日越は貿易をする仲へ発展していきました。 幕府の将軍徳川家康(家康公)はグエン・ホアン都統使(グエン・ホアン公)と交友関係を結び、書簡や贈物の交換をしました。日越は良好な外交・貿易を長期的に築きました。そのため、「1604年から1634年までの間で、日本は東南アジアとの貿易を目的に海外に行く商船に対する 331件のうち、121件の到着地がベトナムであった。ホイアンに居住した日本人は 700人ほどで、別の地区において日本風の生活様式で暮らしていた時期もあった¹」という記録も残っています。

朱印船

ベトナムのホイアンに向け長崎を出港する朱印船

ホイアン

ベトナム、ホイアン

日本橋、ホイアン

日越関係

「御朱印船」の奉納

日越関係の良好によりもたらされた縁があります。1626年にグエン・ホアン都統使は孫娘の阮福玉華日本の商人荒木宗太郎に嫁がせました。後年、彼女は自分の夫の故郷である長崎に移住して、生涯を終えました。現在も、長崎には彼女を祀った神社が残されています。「長崎歴史文化博物館には、彼女がベトナムから持ってきた「安南国鏡」と刻まれた貴重な鏡が現在も保管されている²」。政治以外にも、深い人間関係があったのです。

③ 19世紀の日越関係

日清戦争・日露戦争で勝利した日本は世界に大きな影響を与えました。

一方でベトナムでも革命を起こした人物がいます。

「ベトナム人のファン・ボイ・チャウは、「維新会」を創立して、ベトナムの青年を日本に留学させる「東遊運動」を興した。この運動により、1905年から1909年までの4年間に、約200人の優秀なベトナム青年が選ばれ、日本に留学した。そして、軍事・政治・言語科学といった学科を振武学校や同文書院で学び、大概、大挙、柏原ら日本人の人士、知識者、政治家によって親切にもてなされ、腹心となって協力した。東遊運動は、愛国心を有する情熱のある新しい革命幹部を育成して20世紀初期の民族解放運動に大いに貢献し、国の解放に向けて尽力したため、ファン・ボイ・チャウの革命事業と維新会に対して修大な功績を残したとみなされた³」。と日越関係を記録する資料に残されており、現在ベトナムが「親日家」と呼ばれるきっかけとなった出来事と言えるでしょう。

Phan Boi Chau

ファン・ボイ・チャウ(右側の方)

④ 20世紀の日越関係

 第2次世界大戦後、日本軍は同盟軍により武装解除され撤収しました。そして日越で協定が結ばれるまでは、一部の日本人兵はベトナムに残り、ベトナム人に受け入れられました。

「1954年から1975年までの時期、ベトナムは北部と南部に区分され、日本政府はベトナムの南部(ベトナム共和国)と主に経済関係を維持していただけであった。第2次世界大戦後、日本はアメリカに深く依存していたため、1957年11月から日本政府はサイゴンの政権を認めた。1973年9月21日にパリにおいて、日本とベトナムとの外交関係が樹立された。この新たな関係に基づいて、日本政府は、140億円までのODA援助金をベトナムに与えた⁴」。

戦争が終結し、新たな外交関係を結んだ日越。また1986年に適用されたドイモイ政策により、両国間の外交・貿易関係は発展を遂げました。

⑤ 21世紀の日越関係

1992 年に経済協力が再開され、日本はベトナムにとって最大の援助国となりました。ベトナムの経済社会インフラ開発に大きく貢献しています。

「2017 年に日本の対ベトナム投資額および 証券投資は、91.1 億ドルで国別では第 1 位となった。2017 年の統計では、日本は第 4 位の貿易相手 国(334 億ドル)だが、中国、韓国との貿易構造は大幅な輸入超、米国とは大幅な輸出超であるのに対 し、日越貿易は輸出入のバランスがとれている。在留邦人数は約 17,000 人(2017 年)、日系企業数 は 1,791 社(2018 年 5 月現在日本商工会加盟社数)、在日ベトナム人数は 291,494 人(2018 年 6 月法務省在留外国人統計)となっている。 現在、日越両国は世界でも類を見ない「自然の同盟関係」にあると評されいる⁵」。このデータから、双方は経済交流にすぎず、人間同士の交流が盛んに行われ良好な関係性にあることがわかるでしょう。

Nhat tan Bridge

日本のODAで完成したベトナムの海上橋

ベトナム人技能実習生

2009 年には日越経済連携協定を締結、貿易の自由化、ベトナム人人材の受け入れ経済関係の強化を行いました。それに加えて、日本政府や経団連も積極的に経済援助を行っています。近年在日ベトナム人のコミュニティがますます広がっています。在日ベトナムコミュニティのイベントや活動も日本人や日本政府の応援を受けています。

外務省によると、日越関係の深化に伴い、近年国民レベルでの交流も活発化しており、日・ベトナム両国において様々な文化事業が開催されています。2013 年は、日越外交関係樹立 40 周年であり、「日越友好年」と位置づけ、日本とベトナムの両国において約 250 の文化交流行事が開催されました。

2018 年に日越外交関係樹立 45 周年を迎え、日・ベトナム両国において多くの記念文化事業が開催されたとのことでした。特に 2008 年 9 月 20 日に日越国交 35周年の記念イベントである「ベトナムフェスティバル 2008」に皇太子徳仁親王(現在の天皇)が開会式に臨席しました。

それに加え、翌 2009年 2月には、ハノイ・ダナン・ホイアン・ホーチミンとベトナム各地を縦断して訪問し、明仁天皇(当時)が皇太子時代の1976 年に南部のカントー川支流で新種のハゼが見つかったことを明らかにした学術論文をハノイ自然科学大学に寄贈しました。

Vietnam festival 2008

ベトナムフェスティバル 2008

⑥ まとめ

日本とベトナムの関係性のスタートは奈良時代と古く、外交や貿易が長期的に築かれていたとはなんとも驚きです。日越関係がフューチャーされることが他のアジア諸国に比べると少ないですが、政治経済や文化交流だけでなく“人的交流”も盛んに行われ今もなお持続しています。

現在は、日本に憧れ留学や就職するベトナム人の若者が増える一方で、親日国であるベトナムの国民性や食文化、自然に惹かれ旅行に訪れる日本人が急増しています。

これまで積み上げてきた親密な関係による賜物だと思います。
このような有効的な関係性はこれからも発展していってほしいものです。

参考文献


1~4 歴史の流れに沿った日越関係:http://www.capital-am.co.jp/asean/pdf/report_20190730.pdf

5 日本とベトナムの絆 日越関係は「自然の同盟国」:http://www.capital-am.co.jp/asean/pdf/report_20190730.pdf


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